いよいよ、この7月から「心聞士塾」が開講します。
わもんな言葉でも取り上げたことのある「心聞士」。
僭越ながら、私も心聞士塾の講師の一人として、「わもん至法」の解説に携わっています。
プレッシャーもなくはないですが、それよりも楽しみの方が勝っています。
海のものとも、山のものともわからない「心聞士」。
そのような「心聞士」を育成していく仕組みである「心聞士塾」。
この「心聞士塾」の内容もまだ明確にはわかっておりません。
それでも楽しいと思えるのは、おそらく、まだわからない「心聞士」や「心聞士塾」が具体的になっていくその過程を間近でみることができるからではないかと思います。
「心聞士」というひとつのアイデア(ミジンコと呼んだ方がいいかも)からはじまって、具現化していく。
見えなかったものが見えるようになってくる。
形のないものが形になっていく。
そのプロセスに関わり、ともに作り上げていくことに楽しみを感じます。
「できる」とは「出で来る」。
「作品ができた」など、何かが出来上がるときにも使います。
イメージとしては、浮かび上がる、出来上がるというように、上へ向かう方向性です。
深く沈んでいたものが浮かび上がり、見えるようになる感覚です。
一方で、「できる」とは、可能も意味します。
誰にでも可能性はあります。
その可能性が具体的になったとき、「できる」と思えるのかもしれません。
聞けば叶う〜わもん入門